太極は無極にして生ず。陰陽の母なり。 動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。 過ぎること及ばざることなく、曲に随い伸に就く。
人、 剛にして、我、柔なる、これを走という。 我、順にして、人、背なる、これを粘という。 動くこと急なれば、則ち急にして応ず。 動くこと緩なれば、則ち緩にして随う。 変化万端といえども理は一貫と為す。 着(技)、熟するによりて、漸く勁をさとる。 勁をさとることによりて(理)階は神明に及ぶ。 然るも力を用いることの久しきに非ざれば、 豁然として貫通する能わず。 頂の勁を虚領にして、気は丹田に沈む。 偏せず倚よらず、忽ち隠れ忽ち現る。 左重ければ則ち左は虚ろ、右重ければ則ち右はくらし。 仰ぎては則ちいよいよ高く、俯しては則ちいよいよ深し。 進みては則ちいよいよ長く、退きては則ちいよいよ促す。 一羽も加うるに能わず、一蝿も落つるに能わず。 人、我を知らず、我独り人を知る。 英雄の向かうところ敵無きは、けだし皆これによりて及ぶなり。
こ の技の旁門は、はなはだ多し。 勢は区別ありといえども、おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るに外ならず。 力有る者が力無き者打ち、手の慢き者が手の快き者に譲る。これ皆、先天自然の能。 力を学ことに関するに非ずして為すところ有るなり。 察せよ、四両も千斤を撥くの句を、力に非ずして勝つこと顕らかなり。 観よ、耄耋(老人)の衆(人々)を御するのさまを。 快なるも何ぞ能く為さん。 立てば平準(はかり)の如く、活けば車輪に似たり。
深みに偏れば則ち随い、双重なれば則ち滞る。
毎に見る、数年純功する も運化を能わざる者は、 おおむね自ら人に制せらるるを。 双重の病ち、いまだ悟らざるのみ。 この病ちを避けんと欲すれば、すべからく陰陽を知るべし。 粘は走、走は則ち粘。 陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相済して、まさに勁をさとる。 勁をさとりてのちは、いよいよ練ればいよいよ精なり。 黙と識り、瑞摩(研究)すること漸くにして心の欲するところに従うに至る。 本はこれ己を捨て人に従うを、多くは誤りて近きを捨て遠きを求む。 いわゆる差は毫釐(わずか)、誤りは千里なり。 学ぶ者、詳らかに弁ぜざるべからず。
これ論と為す。